大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和29年(ネ)351号 判決 1956年9月29日

控訴人 上月秀逸

被控訴人 鈴木庄蔵

主文

原判決を左のとおり変更する。

控訴人は、被控訴人に対し、名古屋市昭和区南分町五丁目四十一番地上所在木造瓦葺平家建居宅二戸建一棟のうち東方の一戸の明渡をし、かつ金六百三十円九十銭並びに昭和二十八年七月一日以降右明渡済に至るまでの一カ月につき金七百八十円九十銭の割合による金員の支払をせよ。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」との判決を求めた。

当事者双方の主張は、その各代理人においてそれぞれ左記のとおり陳述したほか、原判決事実欄の記載と同様であるから、ここにこれを引用する。

第一、被控訴代理人の主張

(一)  被控訴人は控訴人に対し被控訴人主張の居宅を賃貸借契約証書作成の日なる昭和十六年二月九日以前から賃貸して来ており、昭和二十四年一月分から昭和二十八年五月分までの被控訴人が受領した賃料の額は別紙<省略>第一表記載のとおりである。昭和二十七年十二月分以降の賃料は同表記載のとおり一カ月金八百円の定めであつたが、控訴人は、右賃料として昭和二十八年五月分までを支払い、同年六月分の一部弁済として金百五十円を支払つたけれども、同年六月分の残金六百五十円及び同年七月より同年十月までの四カ月分金三千二百円すなわち合計金三千八百五十円の支払をしなかつたので、被控訴人は、右の未払賃料に同年十一月分の賃料金八百円を加えた合計金四千六百五十円の支払を求めるために、被控訴人主張の催告をしたのである。

賃料は毎月末日限り翌月分を前払するという約定であつたが控訴人は、しばしばその支払を怠り、昭和二十六年十一月十二日の二カ月分を遅滞して昭和二十七年二月十六日に支払い、昭和二十七年一月より同年三月までの三カ月分を遅滞して同年三月三十一日に支払うという有様であつた。そして控訴人は更に同年八月分九月分の支払を延滞したので、被控訴人は同年十月より一日金五十円の割合で分割支払を受け順次従来の延滞賃料の支払に充当した。その結果、同年十二月末日において漸く昭和二十八年一月分の一部弁済として金二百円の支払を受けるところまで到達したのである。しかし控訴人は、昭和二十八年になつても依然として賃料の支払を怠り、一月分の残金を三月九日に、三月分を五月十六日に、五月分を八月七日に支払うという状態で遅滞を常とし、六月分の一部弁済として金百五十円を支払つたけれども、六月分の残金及び七月以降の分の支払をしなかつたのである。賃借人の賃料の支払が前記のような状態では、賃料の収益を目的とする賃貸人としては賃貸借契約を継続し難いから、被控訴人が契約解除の措置に出たことは正当であつたといわなければならない。

(二)  昭和二十四年一月分より昭和二十八年五月分までの前記居宅の賃料の地代家賃統制令所定の統制額は別紙第一表記載のとおりであるから、控訴人が支払つた右期間中の分の賃料総額は同表記載のとおり合計金六千四百九十九円三十三銭だけ統制額を超過し過払となつている。

しかしながら、賃料が統制額を超過していることは控訴人もその支払当時これを知つていたのである。このことは控訴人が名古屋市昭和区役所に赴いて調査をしたという控訴人の主張に照しても明白である。されば控訴人は、統制額超過の賃料をその超過することを知りながら支払をしたのであるから、非債弁済として過払金の返還請求権を有しない。

また仮に超過賃料の支払が非債弁済にあたらないとしても、それは不法原因給付であるから、控訴人は過払金の返還請求をすることができない。本件において昭和二十六年十月以降の賃料額はほぼ統制額と一致し、超過額は極めて僅少な額である。被控訴人は、名古屋市昭和区役所で調査をしたところ、その係員がこの程度の僅かな端数の超過はさしつかえないと述べたので、第一表記載のとおり金五百円、次で金八百円の賃料の支払を請求したでのある。昭和二十六年九月以前の賃料も大体において新聞記事を参照し計算して請求したものである。被控訴人の一方的な圧迫に控訴人がやむなく屈服して賃料の支払をしたというような事情は全く存在しないのである。控訴人は、被控訴人の威力に屈服して賃料を金八百円に値上することにやむなく同意したような主張をしているけれども、それは真実に合致しない主張である。昭和二十六年十二月頃被控訴人が従来の賃料金五百円を金八百円に値上することを提案したところ、控訴人は区役所に赴いて調査して帰り金五百円が適正賃料である旨を返答したので、被控訴人は値上をしないことにして従来どおり賃料として金五百円を受領して来たのである。叙上のような経過であるから、被控訴人が統制額超過の賃料を受領したことについては被控訴人側の不法性は著しく少いのである。本件においては、被控訴人が控訴人の窮迫に乗じて著しく不当な暴利をむさぼつたというような事情も存在しない。

以上の次第であるから、控訴人は前記過払金の返還請求権を有しない。したがつて控訴人の相殺の抗弁は失当である。

なお控訴人に過払金の返還請求権が発生したと仮定しても、過払金は当然に延滞賃料の支払に充当されるものではない。また相殺の意思表示は、被控訴人主張の催告及び契約解除の意思表示が有効に効力を発生してから後になされたものであるから、右の意思表示の効力には影響を及ぼさない。

(三)  しかのみならず、被控訴人は、前記居宅以外に、更に工場一棟をも控訴人に賃貸して来たのであり、その賃料は当初は一カ月金四十円の定めであつた。そして昭和二十四年一月より昭和二十五年七月までの間に発生した右工場の賃料及びその統制額はそれぞれ別紙第二表記載のとおりであつて、被控訴人は昭和二十五年七月分までの右賃料の支払を受領した。右の賃料額は統制額よりも僅少であつたから、右期間中の分として被控訴人が受領した賃料総額は同表記載のとおり統制額よりも合計金二千八百円だけ不足であつた。また控訴人は同年八月より同年十月までの三カ月分の右工場の賃料を支払つていない。この三カ月分については一カ月金二千円すなわち合計金六千円が相当賃料である。したがつて被控訴人は叙上の不足額金二千八百円と未払賃料金六千円との合計金八千八百円の債権を取得した。

右工場は昭和二十二年頃より賃貸したのであるが、当時の右工場の認可統制額は金四十円であつた。これが昭和二十二年九月一日の物価庁告示により二倍半に修正されて金百円となり、更に昭和二十三年十月九日の同庁告示により二倍半に修正されて金二百五十円となり、昭和二十四年六月一日の同庁告示により一、六倍に修正されて金四百円となつたものである。そして昭和二十五年七月十一日以降は事務所、店舗、市場、倉庫及び工場の用に供する建物については地代家賃統制令の適用がなくなつたが、当時の右工場の賃料は一カ月金二千円が相当であると思われるから、昭和二十五年八月より同年十月までの三カ月分の賃料として被控訴人は前記のように一カ月金二千円すなわち三カ月で合計金六千円を請求する次第である。右統制令にいわゆる工場の用に供する建物とは、建物の客観的構造が工場であるかどうかには関係がなく、現実に工場として使用されている建物の意に解すべく、しかも控訴人は右建物を工場として使用して来たのである。

次に控訴人は本件居宅玄関上り口のガラス障子二枚(長さ六尺、幅三尺)を無くしてしまい、それは現在存在しないが、その価格は合計金五千円である。また控訴人は四枚を家族の者と争つて破つたが、その張替代金は合計金二千円である。次に控訴人は被控訴人より借用中の真鍮製風呂釜一個を無断で潰して他の用途に使用したが、その釜の価格は金三千円である。更に控訴人は本件居宅の勝手入口横の壁に約一尺四方の穴をあけたが、その修理代金は金五百円である。控訴人は叙上のとおりその不法行為によつて被控訴人に対し合計金一万五百円の損害を蒙らしめたから、被控訴人はその損害賠償債務を有するに至つた。

前記工場の賃料金八千八百円及び右損害賠償金一万五百円の各債権はいずれも昭和二十八年十月以前に既に発生していたものであるから、本件居宅の過払金六千四百九十九円三十三銭について控訴人が返還請求権を有するものと仮定しても、右過払金は前記工場賃料及び損害賠償金の支払に当然に充当されたものである。少くとも当事者は右過払金をもつてそれらの支払に充当すべき意思を有していたものである。そして右の金八千八百円及び金一万五百円の合計額から前記金六千四百九十九円三十三銭を差し引けば、金一万二千八百円余残存することとなるから、被控訴人主張の催告及び契約解除の意思表示当時被控訴人は本件居宅の賃料については金四千六百五十円の債権を有していたことが明瞭である。叙上の諸点から観察しても、被控訴人の本件催告及び契約解除の意思表示は有効である。

なお被控訴人が催告において支払を求めた金額が控訴人の真実の延滞賃料額よりも多少過大であつたとしても、右の催告が有効であることはいうまでもない。

(四)  控訴人は合計十六畳の本件居宅に居住しているのであるが、被控訴人は合計二十八畳の家屋に居住しているにすぎない。

第二、控訴代理人の主張

(一)  控訴人は被控訴人からその主張の居宅を昭和十四年より賃借して来たのであるが、昭和二十四年一月分から昭和二十八年五月分までの控訴人が支払つた賃料の額が別紙第一表記載のとおりであることは認める。

そして控訴人は、分割払の方法で支払つたのではあるが、一カ月金八百円の割合で昭和二十八年六月より同年八月までの三カ月分の賃料の支払を完了している。

控訴人は、被控訴人より、叙上の居宅のほか、納屋(戸内作業場)、湯殿及び物置をも昭和十四年以来借り受けて来たのであるが、被控訴人の要求によつてまず右の納屋を明け渡した。そして湯殿の使用を禁ぜられた。しかも被控訴人は、昭和二十五年七月頃右物置までも返還させようと企図して控訴人に対しその共同使用を申し入れ、次で無断で突然右物置内の控訴人の薪炭類を外部に運び出して右物置を取りこわし、これを作り直して被控訴人方の鶏舎とした。控訴人が異議を述べると、被控訴人は「出て行け」という有様であつた。被控訴人が叙上のような暴挙に出たので、控訴人は賃料の支払をしないようになつたのである。

(二)  本件の賃料は地代家賃統制令所定の統制額を超過するものであつた。被控訴人が賃料を一カ月金八百円に値上した当時、控訴人は、名古屋市昭和区役所に赴いて調査した結果適正賃料は金四百三十円程であることを知つたので、被控訴人に異議を申し立てたところ、被控訴人は「八百円支払わないのならば、出て行け」とまで極言したので、控訴人はやむなく屈服して金八百円を支払うことにしたのである。

昭和二十四年一月分より昭和二十八年五月分までの本件居宅の賃料の統制額は別紙第一表記載のとおりであるから、控訴人が支払つた右期間中の分の賃料総額は同表記載のとおり合計金六千四百九十九円三十三銭だけ統制額を超過し過払となつている。

そして被控訴人主張の延滞賃料金四千六百五十円(それは統制額超過の部分を含んでいる)は叙上の過払金六千四百九十九円三十三銭よりも僅少な金額であるが、前記のような過払金は当然に延滞賃料の支払に充当されるものと解すべきであるから、被控訴人主張の催告及び契約解除の意思表示当時延滞賃料は全然存在しなかつたこととなる。したがつて右の意思表示はいずれも無効である。

次に仮に過払金は当然に延滞賃料の支払に充当されるものではないとすれば、控訴人は、ここに被控訴人に対し、右の過払金返還請求権と被控訴人主張の前記延滞賃料債権とを対等額において相殺する旨の意思表示をする。その結果、前記と同様に、催告及び契約解除の意思表示当時延滞賃料は存在しなかつたこととなつて、右の意思表示は無効である。

(三)  控訴人が本件居宅のほか納屋をも昭和十四年以来被控訴人から借り受けて来たことは前記のとおりであるが、右納屋の賃料は当初は一カ月金四十円の定めであつた。そして控訴人が右納屋の賃料として別紙第二表記載のとおり金員の支払をしたこと並びに昭和二十五年八月分より同年十月分までの納屋の賃料が未払であることは認めるけれども、右納屋の賃料の統制額が同表記載のとおりであることは否認する。

控訴人は右納屋を戸内作業場として使用して来たのではあるが、その建物はあくまでも納屋であつて工場ではない。したがつて右納屋の統制額は別紙第一表記載の統制額によるべきものである。

そこで昭和二十五年八月より同年十月までの三カ月分の納屋の賃料は第一表記載の当時の統制額一カ月金二百十七円五十銭の割合を超過することは許されない。

そして第二表記載の控訴人が既に支払つた賃料の額と第一表記載の当時の統制額とを対比して計算すれば、控訴人が支払つた昭和二十四年一月分より昭和二十五年七月分までの納屋の賃料はいずれも統制額を超過して過払となつている。しかもその過払金の合計額は昭和二十五年八月分から同年十月分までの前記統制額の合計額よりも多いことが明かである。したがつて控訴人は右納屋については昭和二十五年十月分までの賃料を全部統制額の範囲内で完済して、なお残余を生じていることになる。

(四)  被控訴人方は四人家族で合計四十八畳の大きな家屋に居住しているのであるが、控訴人方は、八人家族であるにもかかわらず、玄関二畳一室、居間六畳二室及び板張二畳一室の極めて狭い本件居宅に居住しているのである。控訴人は、戦後二度までも事業に失敗し、移転すべき家屋もない。そのような状況であるから、被控訴人の契約解除の意思表示を解約の申入と解しても、その解約申入には正当事由が存在しない。

<証拠省略>

理由

被控訴人が昭和十六年二月九日の以前から控訴人に対し被控訴人主張の居宅一戸を賃料は毎月末日限りその翌月分を前払するという約定で賃貸して来たこと、被控訴人が昭和二十四年一月分より昭和二十八年五月分までの右賃料として控訴人から受領した金員の額及び右居宅の当時における地代家賃統制令所定の統制額がそれぞれ別紙第一表記載のとおりであり、したがつて右期間中の分として授受した右賃料の総額が合計金六千四百九十九円三十三銭だけ叙上の統制額を超過したこと、右居宅の約定賃料が昭和二十七年十二月分以降、したがつて昭和二十八年六月分以降においても、一カ月につき金八百円であつたこと並びに控訴人が昭和二十八年六月分の約定賃料の一部弁済として金百五十円を支払つたけれども、同年九月分以降の賃料の支払をしていないことは、当事者間に争がない。

そして被控訴人は、昭和二十八年六月分の残金六百五十円及び同年七月分八月分の各金八百円すなわち合計金二千二百五十円の賃料についても控訴人は未払である旨を主張し、控訴人は、当初、被控訴人の右主張事実を自白したが、その後、これを取り消して右合計金二千二百五十円の支払を完了している旨を主張するに至つた。しかし右自白にかかる事実が真実に合致しないこと、すなわち控訴人が右金員の支払を完了したことの証明がないから、前記自白の取消は許されない。

次に家賃の契約は、その家賃額が地代家賃統制令に基く統制額を超過するときは、その超過部分につき無効であつて、賃借人はその超過部分を支払うべき義務を有しない。そして賃貸人が賃借人の窮迫無経験等に乗じ賃借人をして右の統制額を高度に超過する家賃の支払を承諾させたような場合は格別であるが、そのような特別事情のない場合においては、賃借人が支払義務のないことを知りながら右の超過部分を支払つたときは、民法第七百三条により、その返還請求をすることができないものと解するのが相当である。本件において、当事者間に争のない別紙第一表記載の統制額と同表記載の現実に授受した家賃の額とを対比して考察してもその家賃額が統制額を高度に超過したものとはいい難く、特別事情の存在を認めることができない。そして家賃について法令に基く統制額があることは既に以前から社会一般の常識となつているところであるのみならず、当審証人梶川清子の証言並びに弁論の全趣旨によれば控訴人が昭和二十七年中名古屋市昭和区役所において本件居宅の統制額を取り調べたことを認めることができるので、右の諸点からして、控訴人は、既に支払つた賃料のうち統制額超過の部分については、その支払義務のないことを知りながら、支払をしたものと推定すべきである。したがつて控訴人は前記超過額金六千四百九十九円三十三銭の返還請求をすることができず、その返還請求権を有することを前提とする控訴人の抗弁はすべて理由がない。

上記のように本件居宅の昭和二十八年六月分以降の約定賃料は一カ月につき金八百円である。そして同年五月分の右居宅の賃料の統制額は一カ月につき金七百八十円九十銭であるところ(別紙第一表参照)、特段の主張も立証もないから、同年六月分以降の統制額は右と同額と推定すべきである。控訴人は、同年六月分以降の賃料につき、約定賃料金八百円のうち金七百八十円九十銭だけの支払義務を有するが、同年六月分の一部弁済として金百五十円を支払つたから、同年六月分については金六百三十円九十銭だけ未払である。また同年七月より同年十月までの四カ月分の未払賃料は合計金三千百二十三円六十銭である。したがつて昭和二十八年十月二十六日現在における控訴人の延滞賃料は合計金三千七百五十四円五十銭であり、これに同年十月三十一日までに支払うべき同年十一月分の賃料金七百八十円九十銭を加算すれば金四千五百三十五円四十銭となる。そして被控訴人が同年十月二十六日書面をもつて控訴人に対し、同年十月分までの延滞賃料及び同年十一月分の賃料の合計額金四千六百五十円(一カ月金八百円の場合)につき、被控訴人主張の催告及び条件附契約解除の意思表示をし、その意思表示が同年十月二十七日控訴人に到達したことは、当事者間に争がなく、右催告において右金四千六百五十円が同年十一月分の賃料金八百円を包含していることを明示していることは、成立に争のない甲第四号証の一、二によつて明瞭である。なお当審証人鈴木高子の証言及びその証言によつて真正に成立したものであることを肯認し得る甲第一、二号証を総合し弁論の全趣旨を参照して考察すれば、控訴人は、昭和二十六年十月頃よりしばしば賃料の支払を怠り、しかも延滞賃料を金五十円または金百円程度の少額の金員をもつて分割払をし、昭和二十八年になつてからも、一月分の未払残金を三月に、二月分を四月に、三月分を五月に、四月分を七月に、五月分を八月に支払い、更に金百五十円を支払つたのみで、その後賃料の支払をせず、昭和二十八年十月二十六日被控訴人の右催告当時において、同月三十一日が到来しても控訴人が同年十一月分の賃料の支払をすることを期待し得ない状態にあつたことを確認するに足り、しかも右催告当時、催告所定の二週間の期間は当然に同年十月三十一日の経過後なる同年十一月十日前後に満了すべきことが予想されたところであるから(同年十一月一日より同月十日までの十日間だけでも催告期間としては相当期間である)、前記のように同年十月分までの延滞賃料に弁済期未到来の同年十一月分の賃料をも附加して支払の催告をしたことは、右催告の効力特に同年十月分までの延滞賃料の催告の効力には特段の影響を及ぼさないと解すべきである。もつとも右催告で請求した同年十月分までの延滞賃料金三千八百五十円は金九十五円五十銭だけ、また右の同年十一月分の賃料は金十九円十銭だけ統制額を超過したものであり、その各超過部分については控訴人に支払義務がないから、右催告はいわゆる過大催告であつたといわなければならないけれども、右各超過部分はいずれも控訴人の支払義務がある金額に比して極めて僅少な金額であるというべきであるから、右催告は統制額と同額の賃料の支払を催告したものとして有効であること疑問の余地がない。そして控訴人が催告所定の二週間の満了の日なる同年十一月十日までに右賃料を統制額の範囲においても支払わなかつたのであるから、本件賃貸借契約は同日の経過と共に有効に解除されたものである。

したがつて控訴人は、被控訴人に対し、本件居宅を明け渡し、かつ昭和二十八年六月分の賃料未払残金六百三十円九十銭と同年七月一日以降右明渡済に至るまでの一カ月につき金七百八十円九十銭の割合による金員(昭和二十八年十一月十日までの分は延滞賃料、同月十一日以降の分は損害金)とを支払うべき義務がある。

被控訴人の本訴請求は、右説示の範囲において理由あるものとして認容し、その余は理由なしとして棄却すべく、原判決は、右説示の範囲において正当であるが、その余は不当であるから、変更を免れない。それで訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条第九十二条第八十九条を適用して、主文のとおり判決をする。

(裁判官 北野孝一 大友要助 吉田彰)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例